2019/07/14

(アブダビ)→→→アンマン→→→エルサレム①


2019.07.11


日付が変わった頃、アブダビ国際空港に到着。

インドからの到着便が多かったせいか、インド人の団体に揉みくちゃにされながらセキュリティーゲートを通過。

なぜかめっちゃ係のお兄ちゃんに微笑みかけられる。

空港内の装飾に目を奪われる。


天井の模様も素敵。



良く見るとモザイク。



デーツの種類が豊富♪


金のラクダ。


土産物もラクダ祭り。




ランプも売ってる。


LEGOもラクダ。


見れば見るほど良く出来ている。


鼻の穴まで忠実に再現。


10時間超えのフライトで浮腫んだ足をどうにかする為、ターミナル内をグルグル散歩。

トランジットも10時間なので、ラウンジで時間を潰す事に。

ここは4時間まで滞在出来るらしい。

深夜だからか空いている。


夜食のサンドイッチと2回目の機内食を断ったので、軽くお腹が空き、朝ご飯。

フレッシュミントレモネード


凄く美味しかった。

朝からフィッシュとマトンのカレーとビリヤニ。


激甘スイーツで歯が痛くなる。


クロワッサンのミルク粥的な物。


めっちゃハイカロリーな気がする。

でも、思ったよりアッサリ。

お腹も満たされたので、久しぶりにブログを書いてみる。


滞在時間4時間経過

時間になったのでラウンジを出ますかね。

電光掲示板がアラビック使用

右から左に見る。


非常に見にくい。

流石にまだ早いので、ゲートNo.は表示されず。

予約した時にはTerminal3と書いてあったので、とりあえず、移動する。

途中、朝焼けが見えた。


ゲートNo.が分からないので、適当に見つけた椅子に座り、時間を潰す。

そろそろ出たかなぁ〜と電光掲示板を見てみると、


なんとTerminal1に変更になっているじゃありませんか!?


それならそうと早く言ってくれよ〜、と文句を言いながらもラウンジがあった側のターミナルへ再び移動。

ゲートの前に移動すると、そこにはインド人の群れ。

数ヶ月前にこんな光景を良く目にしていたが、、、と思いつつも一緒に紛れる。


ゲート間違えたか?


と思ったら、隣のゲートがインド行きのフライトだったらしい。

1人が並び始めると一気に行列がっ!!!!

航空会社の人に


「まだ並ばないで」


と言われても、基本無視して並び続けるインド人。


流石です。


暇なので、インド人の行動を観察して待つ。

あんなに混雑していたゲート前がインド人の大群がいなくなった途端、ガラガラ。

暫し静寂が訪れる。


暫くすると、うちらの搭乗予定の飛行機が到着。

機内に乗り込み、席に着いて暫くすると2人とも寝落ち。

いつ離陸したのか分からず、気がついたら雲の上。

ひたすら寝続け、機内食だけガッツリ食べた。


12:55


クイーンアリア国際空港に到着。


ヨルダンの首都アンマンにある国際空港です。


初・ヨルダン!!!


そんなヨルダンの正式名称がヨルダン・ハシミテ王国って事すら知らずに来ましたよ。

あとで調べて知ったわ。

ちなみに、国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫らしい。

昔、社会の時間にサラッと習った記憶が、、、遠い記憶。


今日はまだ移動が続くので、さっさとイミグレに向かいます。

小走りしたお陰か、イミグレの列は短め。

珍しく1人ずつでは無かったので、ラッキー♪と旦那はんと一緒にカウンターへ。

今回は何を聞かれるかと思い、ドキドキしていると


「ヨルダン滞在中の宿は?」


「宿まで何で行くの?」


数日後にアンマンの宿を予約してあったので、そこの名前とタクシーで行くと伝えただけで、すんなりクリア。

いつもイミグレで足止めされる旦那はんも2人だと比較的スムーズに通過出来る。

ヨルダンは時間がかからずにスルー出来て良かった。

アブダビはトランジットの人が多いせいか、荷物がなかなか出てこない。


ロスバケしたんか?


って言うくらい出てこなかったが、暫くすると流れてきた。

荷物を持って、外へ。

相変わらず、タクシー攻撃を受けるが、無視。

エアポートタクシーのブースを見つけたので、そちらに向かうと一斉に数人に取り囲まれ、


「どこまで行くんだ?」


と数人から同じ質問をされる。


「ボーダーに行きたい。」


と言うと


料金表を指差しながら、JD34(¥5,200)と。

この時間から更に国境越えをするにはタクシーしか手段がなさそうだし、調べていた金額よりも安かったので、お願いする事に。

チェックした紙を渡される。



きっと領収書的な。



全くもって読めません。


おっちゃんが車を取りに行くので、ここで待っててと。

エアポートタクシーがズラリ。


思ったよりスムーズに空港を抜けられた。

おっちゃんは爆音で音楽を流し、その曲に合わせて合いの手を打つよう指示される。

訳の分からん空間になるが、どうにもならんので、おっちゃんの言うとおりにしてみる。

山を登ったと思ったら、山を下り、また登る、、、

なかなかアップダウンが激しい国です。

途中、水を買うと商店に寄るおっちゃん。


「君達も飲む?」


と言われたので、旦那はんがついて行く。

もしもの事を考え、私は車に残る事にした。

冷えたお水を買って来てくれた。

外がかなり暑いので、ありがたい。

しかも、おっちゃんの奢りだったらしい。

この時に無理矢理にでも両替する為に自分で水を買った方が良かった事に気付くのは後になってから。。。


40分くらい走り、ヨルダンのボーダーへ。

JD34だが、細かいお金が無く、JD40しかない。。。

ダメ元でおっちゃんにお釣りがあるか聞くと、案の定


「ない。」


と。


あ〜、やっぱりな。


絶対にないと言うと思った。

のっけからJD6(¥900)損した。

ちなみに水は3本でJD1(¥150)でお釣りを貰っていたらしいから、高い水代になってしまった。。。

両替直後は小銭がないので、この手の事はちょいちょいある。

軽くイラッとしたが、時間もないので、荷物を降ろし、ボーダーへ。

24時間以内の出国であれば、出国税がかからないので、うちらはゲートへ並ばず、外へ出された。

別の建物へ向かい、出国手続き。

パスポートを没収される。

パスポートは国境を渡るバスの中で返してくれるらしいが、手元にないのはやはり不安。。。

椅子に座って待つように言われるが、なかなかバスが来ない。

暫く待っているとJETTが来た。


人数が集まったところで、パスポートの返却が始まる。

バス料金と荷物代を払い、また暫く意味不明な待ち時間。

なかなか先に進めない。

暫くすると突然発車。

大した距離ではないが、国境なのでこのバスでしか移動できず。


待っているのは、


世界一厳しいと言われるイスラエルのボーダー



果たして旦那はんは今回はすんなり超えられるのか!?



まずは荷物を全部下ろし、建物の中へ。

第一関門。

イミグレの予備検査的なところで、イスラエルの滞在期間と目的を聞かれる。

3日しかいないし、観光目的と伝えると、意外とあっさりパスポートにベッタリとシールを貼られた。

思ったよりあっさりだったわ〜と思っていたら、まだ先にも関門が!!!!

ここも2人同時にカウンターへ来て良いと言われたので、2人で進む。

私のパスポートはすぐに返された。

フレンドリーなお兄さんと思っていたら、旦那はんのパスポートとパソコンのの画像を見た途端、顔色が変わっていくのが分かった。

旦那はんを睨み付けながら


「名前をフルネームで言って」


そう言うと相変わらず睨みをきかせながら、パラパラとパスポートのスタンプを確認し続ける。

やっぱり似てるテロリストか国際指名手配されている人がいるんだと思う。

どこに行っても同じ現象が起こるから。


また別室送りか?


と思ったら、思いの外すぐに解放された。

ちなみにシールはこんな感じでベッタリ貼られる。


きっと1117だろうけど、“川又”にしか見えません。

日本語って不思議。

このシールでイスラエル渡航履歴がバレちゃうので、敵対国へ入国する可能性がある場合は後ではがした方が良いが、かなり粘着力の強いシールなので跡が残る。

その剝がした跡をみて、イスラエルに入国したと判断されるという噂もあるとか。

なので、今回は予めDAISOで透明なパスポートカバーを買ってかけておいた。


カバー取っちゃえば関係ないし♪


そんなこんなで、初・イスラエル国に入国〜。



さて、今回の旅の1番の難所と思われていたイスラエルの入国を果たしたので、セルヴィス(乗合タクシー)探し。

出口を出ても見つからないので、近くにいたお兄ちゃんに聞いてみる。


「あっちだよ。」


と教えられた方角へ進む。

そこには1台のセルヴィスが。


まずはチケットカウンターでチケットを購入。

JD20(1,400)

10人集まった所で出発。

タイミング良かった。

イミグレを出ると緑はチラホラ見えるが、かなり乾燥した土地だなぁって言うのが最初の感想。


チラッと通ったヨルダンもイスラエルも道は凄く綺麗に整備されている。


ヨルダンもイスラエルもかなり起伏に富んだ国だわ。

勝手に平らなイメージだった。

帰宅ラッシュにぶつかったので、街に近付くと次第に道が渋滞に。

山を越えた途端にバッと街が広がる。

1時間弱のドライブ。

セルヴィスをおり、宿まで荷物を引きながら鬼坂を登る。

運動不足の体には堪えるわぁ。

宿は思いの外、簡単に見つかり、チェックインを済ませ、すぐに街へ。

宿の周りの壁は落書きだらけ。



ヘブライ語がカタカナに見える奇跡。


下の看板がビックカメラっぽく見えて仕方ない。


ヘブライ語が脳内変換される。

なんだか面白い。

世界中で見かけるI LOVE ◯◯


もれなくエルサレムにも。

旧市街へ向かうのに、城壁に沿って歩く。

ヤシの木の影が城壁に映ってる。



エルサレム旧市街は、面積は0.9㎢の区画で、城壁に囲まれている。

1860年代までは、この旧市街がエルサレムの全体であった。

エルサレムはいくつかの歴史的な宗教における重要な遺跡を含んでいる。

ユダヤ教徒にとっての神殿の丘と嘆きの壁、キリスト教徒にとっての聖墳墓教会、ムスリムにとっての岩のドームとアル=アクサー・モスクなどがそれである。

伝統的に、旧市街は19世紀になって導入された4つの区画(ムスリム地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、アルメニア人地区)に分けられている。

1981年に世界遺産として登録された。


Jaffa Gate (ヤッフォ門)



開いている門の7つの門の中で西側中央にある門。

L字型の門を抜けるとそこから旧市街。

一気に雰囲気が変わる。


ダビデの塔


時間が遅く、門がしまってた〜。

残念。


ここは古代からの城塞で、ヘロデ王が既存の城壁に増築を施したのが始まりであり、長い年月にわたり増改築を繰り返し、おおよそ今の形になったのはマムルーク朝からオスマン朝の時代にかけてである。

現在はエルサレムの歴史博物館として一般に公開されている。

仕方がないので、次の場所へ向かう。

土産物屋にはたくさんのキッパ。


キッパとは、、ユダヤ教の民族衣装の一種で、男性がかぶる帽子のようなもの。

ユダヤ教の聖所に入る時には、原則として男子はキッパーを被ることとされる。

神に対して頭を隠すことて、神に対しての謙遜の意思を表す意味があるらしい。

嘆きの壁などでは、入口に外国人観光客向けの紙製キッパが用意されており、観光客はこれをかぶり入場する。


時間が遅かったせいか、閑散としているスーク。




聖墳墓教会


イエスは総督ピラトの命により処刑となっが、イエスは処刑される前に自分が磔にされる十字架を背負って最後の歩みであるヴィア・ドロローサを歩き処刑場のあるゴルゴダの丘にのぼり、そこで十字架に磔にされ殺されたと伝えられている。

戦争によってゴルゴダの丘は一度は場所が分からなくなったが、この場所からイエスの処刑に使われた十字架や釘などの遺物が出てきたことから、ここがゴルゴダの丘であることが発覚した。

そしてローマ帝国の皇帝の命によりこの地に教会が立てられ、それが現在の聖墳墓教会となっているらしい。


イエス・キリストの身体が埋葬のために準備された場所であると信じられている石台。


イエスが埋葬される前に体をきれいにして香油を塗るという埋葬の準備に使われた大理石の台がある。

たくさんのキリスト教徒たちが、跪き頭を石台に付けて祈りを捧げていた。



興味本位で触るのもどうかと思い、ただその光景を眺めていた。


イエスが十字架に磔にされ処刑されたのちに、十字架から降ろされ体を綺麗にし埋葬される様子が描かれた壁画。



中央のドームにイエスが埋葬され3日後に復活を遂げたとされる「石墓」


石墓の前には豪華な祭壇があり、ギリシャ正教ではこの場所は「世界の中心」と言い伝えられるほどで聖地とされている場所。


墓の内部には一度に4,5人しか入れないらしく、めっちゃ並んでたので、外から眺めて終わり。

暗くて分かりにくいけど、天井画も素敵な感じ。


教会内の天井画や壁画、床のタイルなどどの装飾も綺麗。











聖墳墓教会の中はとても広い造りになっている。

聖墳墓教会にはギリシャ正教、カトリック、シリア正教、東方正教、アルメニア正教のそれぞれの祭壇が作られていて、各信者たちが祈りを捧げられるようになっているらしい。

ぐるっと中を周り外へ。


ヴィア・ドロローサ



新約聖書の四つの福音書の記述やキリスト教の伝承などから想定されるイエスの最後の歩みのこと。

いずれの福音書でも、イエスは十字架を背負って総督ピラトの官邸から刑場のあるゴルゴダの丘までの道のりを歩いたとされている。

ヴィア・ドロローサという名称は、その道中に味わったイエスの苦難を偲んで名付けられているらしい。


石畳がツルッツルで滑る。


途中にあったパン屋の方が気になってしまう。


かなり大きなパン。


エルサレムで一番来たかった場所へやって来た。


嘆きの壁

ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。

神殿は紀元前20年に建設されたが、70年に起こったユダヤ戦争によって、神殿はローマ軍に破壊された。

しかし神殿の西側の壁のみが現在も残されており、ユダヤ人は「西の壁」と呼んでいる。


現在残っている嘆きの壁は幅約50メートル、高さ約20メートル。

石積みの造りになっており、上部17段は修復で積み上げられた石だが、下部の26段は神殿の建設当初のものと言われている。


旦那はんも潜入。


ユダヤ教徒の中で一人浮いてます。


観光客用のキッパを被ったまま戻って来た旦那はん。


申し訳ないが、ちょっと面白い。


嘆きの壁は男性と女性で祈る場所が違う。

男性は嘆きの壁に直接手や頭を当てて祈りを捧げます。

これは「私は神に従います」という決意を表している。

男性と女性が一緒の場所で祈れない理由は、ユダヤ教の教えに関係しているらしい。

女性エリアに潜入。


男性と女性は塀によって分けられている。


流石に一番前に行く事は気分的に出来ず、少し後ろから見ていた。

どの宗教の方も熱心にお祈りするなぁと旅に出ると思う。

世界から見たら、無神教の日本人って変わっているように見えるんだろうなぁ。

毎日祈ったりしないしなぁ。

エルサレムは色んな宗教が混在している不思議な空間だった。

最後に嘆きの壁バックに岩のドームを眺める。


東エルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地であり、「神殿の丘」と呼ばれる聖域となっている。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祀っている。

それゆえ、このドームはその神聖な岩を覆った記念堂であり、礼拝所としてのモスクではない。 

岩のドームはイスラム教としか入れないので、行かずに終わった。


怒涛の観光も終わったので、夕飯を食べに。

途中、旧市街をお散歩。


神殿跡?


雰囲気がモロッコと似ている。


御目当ての店に到着。

とりあえず、フレッシュレモンミントジュースで喉を潤す。


本日の晩餐。


フムスシュワルマ


フムスは、ゆでたヒヨコマメに、ニンニク、練り胡麻、オリーブオイル、レモン汁などを加えてすりつぶし、塩で調味したペースト状の料理。

シュワルマは、肉を鉄串に突き刺した状態で直火で焼いた、レバントの料理。


ファラフェル


水にもどしてから磨り潰したひよこ豆かそら豆、またはその二つを混ぜたものにパセリやコリアンダーと様々な香辛料を混ぜ丸めて揚げたもの。


サラット・イスラエリー


トマトやきゅうりの角切りサラダ。


シャクシュカ


北アフリカとか中東のほうの朝食メニュー。

チュニジアが発祥らしい。

モロッコのベルベルオムレツと変わらん気がする。

どれも美味しゅうございました。

腹八分目で宿へ。

緊張の糸が切れたのと日本からの長旅で疲れがどっと出て、二人ともヘロヘロ。

頑張ってシャワーを浴び、歯磨き。

私がシャワーから出たら、旦那はんは既に寝息を立てて爆睡していた。

宿の外で爆音で音楽フェスっぽいのをやっていたけど、二人とも御構い無しで泥のように眠った。