2024/07/20

ヒヴァ②→→→クフナ・ウルゲンチ→→→ダルヴァザ①

 2024.06.14


5:00起床

本日も移動日なので、まずはパッキングから。

パッキングを終えてから、恒例の朝のお散歩へ。

6:40

外へ出ると掃除のおばちゃんくらいしかいない。

イチャンカラの街を貸切状態。

カルタミノル




イスラーム・ホジャ・メドレセ



まだ土産物屋も準備前。


7:00前に宿に戻る


本当は8:00から朝食だが、昨日のチェックイン時に8:00には迎えの車が来てしまうとレセプションで話したところ、朝食の時間を繰り上げしてくれた。

この宿自体はブッフェスタイルの朝食だが、うちらだけ繰上げにして貰ったので、お皿で全部用意してくれた。

ありがたい。


パンやナンもてんこ盛り。


ヒヴァのナンは薄い。


ヒヴァでナンが食べれないと思っていた旦那ちゃんも満足。
移動日なので朝からもりもり食べます。
部屋に戻り歯磨きしたり、残りの荷物を入れているところでレセプションのお兄ちゃんが部屋へ来た。

「ピックアップ、もう来たみたい。」

7:45

えっ? ピックアップは8:00だよね。
サマルカンドの時もそうだったように迎えの時間は早め早めのウズベキスタンの人たち。
海外だと遅れることはあっても、早まることはあまりないので、必死に荷物を詰め込み、バタバタとチェックアウト。

8:00前には宿を出た。
迎えの車に乗り込むとすぐに出発。
余韻に浸る暇もなく、ヒヴァの街をあとに。
向かう先は車で約1時間の所にある国境。

約1時間後 国境に到着

ドライバーのおっちゃんは全く英語が話せなかったけど、ありがとうと告げ国境へ向かう。
ゲートは閉まっていて、ゲートの前に数人待っている人がいた。
その列に入る。
アジア人は珍しいのかおばちゃんが話しかけてくるが、

全く分からない。

ジェスチャーなどで会話を試みるが、なかなか難しい。
でも、分からないなりにお互い楽しい。
おばちゃんが話す単語をオウム返しするだけでも、おばちゃんたちはケラケラと笑っていた。
そうこうしているうちに後ろには長蛇の列が。
日本人の団体客も並んでいる。
暫くすると国境の係の人が先にツーリスト入れと指示をしたので、おばちゃんたちにお別れをして中へ。

まずはウズベキスタンの国境から。
こちらは数日前にも別のゲートで通過しているので、あっさり通過〜。
そのまま徒歩でトルクメニスタンの国境にまたがる橋まで歩く。
橋には若いお兄ちゃん2人組が待機。
近づくと紹介状を見せるよう言われた。

トルクメニスタンは個人での自由旅行は認められておらず、旅行会社を通じて予め入国日程を提示し、紹介状を出して貰わなければ入国許可が下りないので、旅行会社のツアーで入国する。


そんなトルクメニスタンは、「中央アジアの北朝鮮」と言われるほどの独裁国家。
厳しい情報統制(2019年の報道の自由度ランキングで最下位)

ネットは使えなーーーーーーいっ!!!!

必然的にデジタルデトックス。
ツアーだからそんなに困らないし、数年前までSIMカードなしの旅をしていたから、なきゃないでそんなもんかと思うだけ。

ちなみに厳しい入国管理の為、現在までコロナウイルス感染者を1人も出していないらしい(世界で唯一)。

なかなか厄介だよ。
そして、年々、ツアーの金額も上がっていくし。

ツアーの予約は日本からだいぶ前にお願いしていた。
それこそ年明けから準備はしていた。
だが、今年の1月にはうちらが行こうとしているガスクレーターの“地獄の門”が閉鎖するかもしれないと言う噂もあり、直前にならないと行けるかどうかは分からないとずっとツアー会社から言われていた。
だが、4月頃に行けそうだと言う連絡が入り、無事、紹介状もゲットして、イマココって感じ。
決まるまではずっとドキドキしていた。
突然、何の前触れも無く国境をシャットダウンする国なので。

そんな訳で、国境で予めプリントアウトしておいた紹介状を見せ、国境の連絡バスに乗り込む。
後から来た日本人の団体も同じバスに乗り込む。
ツアーのガイドさんが旦那ちゃんの隣に座り、

「バスのドライバーに払うチップは私がまとめて払うので、皆さんは日本人というだけで良いです。」

とアナウンスをしていた。
便乗してしまおうかと思ったが、

自分たちの分は自分たちで払いましょう。

相場は$1/人。
チップは最初に払わなければいけないらしい。

なんで最初に払わなきゃいけないんだ?

と思ったけど、そのチップを受け取るドライバーの態度が最悪でさらに気分が悪い。
本当にちょっとした距離、むしろ歩いて良いなら歩いて行きたいくらいなのに、勝手に行く訳にもいかず、バスで行かなくてはならない。
完全に賄賂みたいな感じ。

気分が悪いわぁ〜。

そんなバスでトルクメニスタンのイミグレへ。
中は大混雑。
何をどうすれば良いんだ?と思っていたら、1人の男性に声を掛けられた。

「君たち、日本人?」

と。
そうだよと答えると、うちらの名前を書いた書類を持っている。
ガイド兼ドライバーさんだ。
国境の外で合流するもんだと思っていたら、まさかのイミグレ内にいた。
でも、勝手が分からなすぎるので、助かる〜。
するとまず始めに入り口横の部屋に入るように言われた。
列に並び進んでいくと、

まさかのPCR検査

鼻の中をグリグリされた。。。
キットがたくさん並んでいるが、どれが誰のか分からない状態だと思うんだけど。。。

これで$43とかエグッ!!!!

流れ作業のPCR検査を終え、今度はイミグレ窓口へ並ぶというか、人の団子の中に突撃し、もみくちゃにされ続ける。
人は沢山いるのに、窓口の係員は1人だけ。
時々、怒号が飛び交う。

マジ、カオス。

うちのドライバーさん、グイグイ書類を持って進んでいく。
必死について行く。
窓口の前に行き、書類とパスポートを渡すが、一度貼ったVISAを何故か剥がすお兄ちゃん。

オイオイオイオイオイオイオイオイッ!!!!

何で剥がしてんのーーーーーーーーーっ!!!!

VISAのシールを剥がしたパスポートを持って、何故か消えた〜。

完全に詰んだ。。。

ある意味別室送りだよ。

まずいぞ、これ。
ここまで来て、入国出来ないパターンあるかも。
そして、お兄ちゃんだけ戻ってきて、他の人の入国手続きをし始めた。
もう手元にパスポートもないのでなす術なし。。。
大人しく端の方で待つしかない。

どれくらいの時間まっただろうか?
20分くらいは待っていたと思う。

うちらのパスポートを持った人が現れた。
そのまま手続きを始めている様子。
日本人はうちらくらいしかいないので、うちらを探している。

「ここ!!!!ここ!!!!」

といるよアピールをして、ようやくVISAが貼られたパスポートを返して貰えた。
無事、入国出来そうだ。

荷物を機械に通し、
「カメラ、ドローンは持っているか?」
と何度も確認された。
持っていないと答えると、ようやく抜けられた。
抜けた先でも何度もパスポートの確認される。

国境を抜ける頃にはヘロヘロになっていた。


11:00

ようやくトルクメニスタン入国。
国境の外へ。
国境越えに2時間かかったわ。。。

車はまさかのランクル!!!!


ドライバーさんと綺麗なランクルにテンションが上がった。
ミニバンを想像していたので。


11:30

まずは腹ごしらえ。
早めのランチ。


BAY TOWN


何だかBarみたいな雰囲気のお店。
2階へ上がるとカフェっぽい雰囲気になった。


店員さんはフレンドリーで英語で話しかけてくれる。
ソファーでくつろぐ旦那ちゃん。


ガイド兼ドライバーさんがメニューを見て好みを聞いて色々決めてくれた。
トルクメニスタンの伝統的な料理はないというので、お任せした。

サラダとナン


レンズ豆のスープ


肉とプロフ


これも肉
下にパンが敷いてあって、だいぶお腹に溜まる一品。


お腹いっぱいだよ〜
と思っていたら、まさかのデザートまで1人1個ずつ頼んでいたらしく、大きなケーキが来た。。。
しかも、ミルクレープ。
いや、重いわ。


さすがに食べきれない。。。
ドライバーさんもやり過ぎたと思ったらしい。
味は良かったけど、量が全体的に多めだった。

ランチのお金もツアーに込み込みなので、支払いはいつの間にか済ませていたらしい。

車に乗って待っているように言われ、待っていると近くのお店でキンキンに冷えたガス入りのお水を買って来てくれた。


うん、読めない。
甘くなくて良かった。
海外、何でも甘いイメージ。

12:30

お腹もいっぱいになったので、出発〜。

今回の旅に出る前にたまたま観ていたクレイジージャーニーの内容がトルクメニスタンだった。
街中の建物が真っ白で車も白かったから、そんなもんかと思っていたら、最初に見た車は赤だった。
街中も建物の壁は白かったけど、屋根は緑だったりしたので、首都のアシガバード以外は真っ白じゃないのかもと思った。
街中の道は整備されていて広くて走りやすい感じ。
時々、建物に大きな大統領の写真が飾ってあったり、金ピカの像が道の真ん中にあったり、独裁国家を思わせる感じはあった。


14:00

最初の目的地に到着

クフナ・ウルゲンチ


写真を撮るなら1人$2と言われたので、私だけ写真を撮ると告げ、ドライバーさんに$2払った。



ウズベキスタンとの国境近く、トルクメニスタン北西部に位置する クフナ・ウルゲンチは、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550〜330年)の時代からの歴史を持ち、ホラズム・シャー朝(1077〜1231年)の首都でもあった場所。
現在は廃墟となっているが、モスクや隊商宿、要塞、霊廟、高さ60mのミナレットなど、16世紀に放棄されるまで繁栄した都市の様子を現在に残す。

都市は12〜13世紀に全盛期を迎えるものの、チンギス・ハンの侵攻によって市民がほぼ虐殺されてしまい、その後は少しずつ復旧するものの、結局16世紀には現在のウズベキスタンにある「 ウルゲンチ」に都市機能はすべて移転し、ここは遺跡としての「 クフナ(旧)」のウルゲンチとなった。






青いタイルの装飾が施されていたのだろうけど、殆ど剥がれ落ちている。




中は資料館のようになっていた。
タイルのかけらが展示されていた。





棺の周りを7周すると良い事があると何かで見たので、とりあえず、現地の人もまわっていたから一緒にまわる。



車で次の遺跡へ移動。


ここの写真を撮るなら$3と言われた。
遺跡が広過ぎて撮ってるってどうやって分かるのかな?と素朴な疑問。

トレベクハニム廟


トレベクハニム廟はクフナ・ウルゲンチの遺跡の中で最も保存状態が良いものの一つ。




内部のドームは昼夜24時間を表す12個の天窓と1年をあらわす365個の星などイスラム天文学が生かされている造りが特徴。



地下への入り口のような場所。


半地下部分から撮って足長効果♪


日陰が全く無いので暑い。。。
遠くにドームとミナレットが見える。
だいぶ遠いな。。。
歩くの嫌だな。


セイト・アフメット廟


ホラズム王国を滅ぼしたモンゴル軍がこの地を統治し、そのモンゴルのハーンでイスラム化していたシェイク・セイト・アフメトが1308年に亡くなりこの廟に葬られた。

廟の棺を7回まわると、メッカに行くのと同じ効力があるとされているらしい。
こちらの中には入らなかった。
こっちの棺をまわるべきだったのか?
良く分からん。。。

クトゥルグ・ティムール・ミナレット


11〜12世紀に造られた中央アジアで最も高いミナレット
煉瓦で建設され、高さ60メートル。


イルアルスラン廟


13世紀前半に建立。
鉛筆にしか見えん。


車に乗る前にもう一度トレベクハニム廟を眺めて終わり。


15:00

遺跡を出発し、ダルヴァザにある地獄の門を目指す。

ここから5時間ダカール・ラリー状態が続くとは思わなかった。。。

地獄の門に行く道がすでに地獄。。。

舗装されているのに穴ボコだらけの道。
穴を避けながら走る。
途中、何台もパンクして動けなくなっている車を見た。

穴を避けながら走るため、何度も頭を窓に打ちつけ、お尻も浮く。
マダガスカルのムルンダバに行くタクシーブルース並みにしんどい。。。
それでも睡魔には勝てず、寝ては起きを繰り返す。
鞭打ちになりそうなくらい首を持っていたれても寝る。
ちょこちょこ起きるから眠りは浅い。

腰痛持ちや乗り物酔いしやすい人には100%オススメ出来ないツアーです。

車がストップしたと思ったら、羊の群れが道を横切る。
南米ではないので、轢いたりはしない。
群れが途切れるまで待つ。


羊の次は野良ラクダの群れ。


車などお構い無しに道を横断するラクダ。


夏仕様なのかコブと顔の辺りにだけ毛がある。


ボサボサ。


みんな仲良く横断して行った。


日が暮れる前に地獄の門に着きたいので先を急ぎましょう。

もうそろそろ着く頃だけど?って所に小さな小屋のような建物があった。
昔はその建物を目印にそこから道を逸れ、砂漠に入って行ったらしい。
もれなくうちのランクルちゃんもそこから中へ。
最初は道らしき轍もあったが、所々、道が薄くなる。

スタックするんじゃないの?

と一瞬不安に思ったけど、そこは世界のTOYOTA様。
一度もスタックする事なく砂漠を進む。


20:00

念願の地獄の門に到着ーーーーーーーーっ!!!!


疲れていたけど、テンションブチ上がったーーーーーーーーっ!!!!


車を降りると熱風&ガス臭い感じがガスクレーターに来たよと感じさせてくれる。


全体的に燃えているのかと思ったけど、ガスが噴き出ている所が燃えている感じ。
嬉しくて色んな角度から写真を撮りまくり。


このガスクレーターは、1971年、発掘調査中の崩落事故後、メタンガスの拡散を防ぐために地質学者によって火を付けられた。
当初は数週間以内にガスが燃え尽きると予想されていたが、半世紀経った今でも燃焼が続いている。

トルクメニスタン政府は、このクレーターを国内の有力な観光地にすることを望んでいると伝えられていたが、2022年、ベルディムハメドフ大統領は、地域の生態系と住民の健康に悪影響を及ぼしていること、また国の繁栄のために必要な天然ガスを消費していることから、閉鎖に向けた手段を検討するよう政府内に指示を行っているらしい。

2023年の夏、米国政府とトルクメニスタン政府は、ダルヴァザ・クレーターを含めて、協力してこれらのメタン排出源を永久に封鎖する方法を話し合った。

もしかすると近い将来、地獄の門は閉ざされてしまうかもしれない。

一応、ガスクレーターの周りに柵はあるけど、中に入れちゃう。(自己責任)
過去にガスクレーターの中に転落したロシア人がいたそうな。(火傷を負ったけど、命は助かったらしい)


直径60m
結構大きい。


明るいバージョンのガスクレーターが見れたので、今夜のお宿へ行きましょう。
砂漠の丘を登り、着いた先にはユルタ


本日のお宿です。


No.2のユルタが今夜の寝床。


中に入ると意外と広い。


真ん中にはストーブ。
砂漠の冬はかなり寒いらしい。
シングルベッドが3つ並んでいた。

こちらは食堂専用ユルタ。


まさかのエアコン完備。
遠くに置いてある発電機を使っているらしい。

こちらはトイレ。
男女別々。
意外と綺麗。


人感センサー付きのライトはあるが、すぐに切れる。
夜は一瞬付いた時に便座の位置を確認し、その後は暗闇トイレ。
砂漠なのに手洗いの水はちょろちょろだけど出た。

ちなみにシャワーはない。
砂漠だしね。
最初から分かっていたので、汗拭きシートやシートタイプのシャンプーを日本から持って行ったので、問題なし。

ここの管理人のママがシャシリクの準備をしてた。


ちゃんとゴム手袋していた事にびっくり。
コロナの後から色々うるさいのかな?ツアー会社も。

ママの後ろではパパが炭でトマトを焼いていた。


お肉の準備も出来たので焼いていく。


見学していたら、ドライバーさんに
「食堂でおやつでも食べながら待ってて。」
と言われたので、大人しく待つ事に。

テーブルにチャイがセットされていた。


至れり尽くせりです。
暫くすると夕飯が運ばれて来た。

てんこ盛りのサラダ


砂漠で生野菜が食べれるとは!!!!

シャシリク


焼きなすと焼きトマト、たっぷりのディル。
どれも凄く美味しかった。

21:45

日が暮れたので、夜のガスクレーターを見に行くことに。
夜でも熱風で暑い。
ちょうど満月だったのか、月明かりが。


暗闇に浮かぶガスクレーター。


ガスクレーターを見つめる旦那ちゃん。


周りには国境でお会いした日本人観光客の団体様御一行が。
トルクメニスタンだけどやたら日本語が聞こえてくる。


グルグル周りながら場所を変えて見続ける。


半世紀燃え続けてるって凄いなぁ。


閻魔様現る。


崖っぷちに立ち過ぎて見ているこっちがヒヤヒヤする。
落ちたら丸焦げよ。


22:00

車で待っているドライバーさんは待ちぼうけしているので悪いなぁと思いながらも、やっぱり見ていたい。
でも、自分たちも悪路で疲れているので、ユルタに戻ることに。

ユルタに戻る途中、丘の上のスポットに寄ってくれた。
小さく人が見える。


来れて良かった。
いつかは見たいと思っていた景色をまた一つ見る事が出来た。

ユルタ近くからも見てみる。
オレンジのラインにしか見えない。


もう少し見ていたい気もするが、満足。

夜のユルタ。
うちら以外の宿泊客は今夜はいないらしい。



歯磨きをして、体を拭いて寝ましょう。
砂漠だから夜は気温が下がるかと思ったけど、

暑いっ!!!!

暑くて眠れない。。。
と思ったら、隣のベッドで旦那ちゃんは秒で寝息を立て寝始めた。
車の中で寝た人と寝れなかった人の違いかな。
明日も早いので寝ましょう。