2017.12.07
今日は前回のDF滞在で行けなかった!?行かなかった!?場所に行くことに。
やっと重い腰を上げます。
7時過ぎに起きて、宿で朝食。
食べ終わってすぐ出かける準備をして、宿を出る。
昨日、ケレタロから到着したNorteのバスターミナルへ地下鉄で行く。
8:50
バスターミナルに到着。
チケットを買うと
「5分後にバスが出るよ。」
と言われ、急いでゲートへ向かう。
5分後と言われたけど、バスが出たのは15分後。
間に合って良かった。
ローカルバスなので、ちょこちょこ停車する。
約1時間後
Teothiyacán (テオティワカン) に到着。
ゲートでチケットを買い、駐車場の横を通りながら入り口を目指す。
途中、ガイドのおっちゃん達に
「ガイドはいる?」
と声をかけられるが、
「いらないよー。」
と何度も断りながら、入り口を目指す。
入り口でチケットチェックをされ、中へ。
建物を抜けてすぐにUNESCOの碑があった。
1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
テオティワカンは紀元前2世紀ごろ造られた都市で、350年~650年の最盛期は20万人を超える人々が住んでいたと言われている。
副葬品やタルー・タブレロといわれる建築様式から、マヤとは交易を通じて交流があったとされている。
7世紀末には衰退し廃墟となったこの都をアステカ族が見つけ、「神々の座所」という意味の“テオティワカン”と名づけた。
テオティワカンの遺跡は、その中央をほぼ南北4kmにわたって走る「死者の大通り」沿いに、「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「城塞」といった巨大なピラミッドや神殿群が無数に立ち並ぶ実に壮大なものである。
城塞は4km以上にわたる直線の「死者の大通り」のちょうど中間地点にあり、城塞の中の東の端にケツァルコアトルのピラミッドがある。
太陽のピラミッドは「死者の大通り」を1kmほど北に上がった通りの東側に位置し、月のピラミッドは大通りの北の端に建っている。
さて、混む前にサクサク見学に行きましょう。
ちなみに旦那はんはここもまさかの2回目。
ケツァルコアトル神殿を見るためにピラミッドに登る。
遠目にピラミッドが見える。
ハイ、時間的に逆光です。
まだ発掘途中のところもある。
ピラミッドの周りには土産物屋のおっちゃんがたくさんいるので、通ると声を掛けられるけど、要らないのでスルー。
さて、登りますよ〜
その前にここでも手を叩いてみる旦那はん。
ここもチチェン・イッツァと同じで手を叩くと音が反響して不思議な音が返ってくる。
面白くて何度も手を叩く旦那はん。
周りにいた学生さん達もそれを見て手を叩く。
さて、気を取り直して登りましょう。
先に頂上に着いた旦那はん。
真ん中で万歳。
私も登ります。
頂上からはこのピラミッドの裏にある神殿が見える。
ケツァルコアトル神殿
ティオティワカン遺跡の南端に位置する、ケツァルコアトルの神殿。
ケツァルコアトルは羽毛の生えた蛇をモチーフとした豊穣の神。
神殿の壁面には、ケツァルコアトルと雨の神トラロックとが一面に据えられている。
当時は彩色が施されていたらしく、その他羽毛の生えた貝のモチーフなどと一緒に壁面全体を埋め尽くしている様は圧巻。
そのピラミッドは6層に及ぶ。
修復中。
遠くに太陽のピラミッドと月のピラミッドが見える。
さて、登ったら今度は降りなきゃいけません。
高所恐怖症泣かせの階段の傾斜。
学生さん達の中にも
「無理〜っ!!!!」
と言っている子もチラホラ。
まぁ、そんなことを言ってもどうにもならないので、頑張って降りるしかないので、心を無にして降りましょう。
あ〜、怖かった。。。
さて、混む前にどんどん行きましょう。
先は長いなぁ。
太陽のピラミッドまでもう少し。
また階段。。。
先を行く旦那はん。
太陽のピラミッド
階段ヤバイ。。。
高さ65m、底辺の一辺の長さが225m、頂上まで248段の階段を登るとの巨大なピラミッドの
平坦な頂上には、かつて神殿が立っていたと推定されている。
年に2回、太陽が天頂点に達した時、ちょうどピラミッドの真上にくるように、また、夕刻には真正面に沈んでいくように設計されているが、これは、テオティワカン人の文明の高さとともに、太陽崇拝の宗教観を示すようで興味深い事実である。
ピラミッドの内部には、さらに古いピラミッドが存在するらしい。
階段を登っている人がかなり小さく見える〜。
気合いを入れて登りましょう。
とりあえず、最初のフロアまで来た。
すでに結構な高さ。
最上階まで登ります。
最上階に着いた。
奥には月のピラミッドが見える。
柵も何も無いのね〜
怖いけど座ってみる。
一歩間違ったら落ちますよ〜
死者の大通り
メキシコで最も装厳な遺跡テオティワカンをほぼ南北に貫く、幅40m、全長4kmのメインストリート。
道は北端と南端では2.7mの落差があり、緩やかな坂道となっている。
“死者の道”とはアステカ族の命名によるものでアステカ族がこの地を訪れた際、通りの両側に並ぶ建物の跡を王の墳墓と見間違えたこと、更には道から多くの遺体が発見されたことに由来する。
最近、南北に走る死者の道に対して、ほぼ直角のに交わる東西の道があったことも判明された。
この南北、東西の道が、北は北斗星のアルファ星、東はシリウス、西はスバルの方向になっているという説もある。
死者の大通りの途中にある
ピューマの壁画
顔が消えかかってます。
写真を撮った直後に学生が押し寄せて来た。
少しずつ混んで来た。
先を急ぎましょう。
土産物売りのおっちゃんが先を行く。
月のピラミッド
月のピラミッドは、“死者の道”の北端にある、紀元350年頃に建造されたというピラミッドである。
高さ42m、底辺150×130mという大きさで、太陽のピラミッドに次いでテオティワカン第2の規模を誇る。
実際の高さは太陽のピラミッドより低いが、少し隆起した土地に建っているため、頂上の高さはそれほど違いがない。
ピラミッドの前は、階段のある基段群に囲まれた広場になっており、その規模から察すると、宗教的に重要な行事のほとんどは、太陽のピラミッドではなくこの月のピラミッドで行われていたと推定される。
頂上へは階段が続いており、かつては神殿があったと思われるこの頂きからは、全長約4kmにおよぶ死者の道がまっすぐに延びる雄大な遺跡群全景が見て取れる。
左手に太陽のピラミッド。
月のピラミッドの階段の傾斜は他のピラミッドよりもキツイのに子供を肩車するお父さん。
見てるこっちが
怖っ!!!!
月のピラミッドからの眺めは良い。
同じ宿の子とここで会って、写真を撮ってくれた。
ちなみにここではWi-Fiが繋がるらしい。
意味あるのか?
さて、降りますか〜
って、ここの階段の傾斜が一番ヤバイので、降りるのも恐怖。
一段ずつゆっくり降りましょう。
最後に滑って、階段を数段落ちるかと思った。。。
変な汗をかきました。
帰る前にチラッと遺跡なんかも見てみた。
柱の彫刻が凄い。
太陽に捧げる生贄の儀式
テオティワカンのピラミッドは特定の人物の墓などではなく、神殿の台座として築かれたらしい。
ピラミッドの上に築かれた神殿では宗教的な儀式がおこなわれていた。
儀式では人間を首を切り落とし、流れ出る血を体に塗りながら、生贄を太陽に捧げたらしい。
月のピラミッドからは切り落とされた頭蓋骨が発掘されていた。
また腕を後ろ手に縛られた、首のない胴体も見つかっているらしい。
生贄の儀式の背景には、太陽に対する畏怖の念のようなものがあったようだ。
当時の人々は、日蝕の時にパニックに陥り、太陽がもとの姿には戻らないのではないかと畏れた。
また、西に沈んだ太陽が、もう昇ってこないのではないかという不安を抱えていた。
心臓や血は太陽に活力を与えると信じられていたため、生贄の儀式によって太陽の恵みを維持しようと考えていたようだ。
そこには、自分にとって最も大切なものを、身を切って奉げるという意味が含まれていたらしい。
マヤもアステカも生贄が好きなのね。。。
テオティワカンを満喫したので、また来た道を戻り、バス乗り場へ。
バス停に着いたと同時にバスが来た。
ナイスタイミング♪
往復でチケットを買っていたので、そのまま乗り込む。
帰りは軽く渋滞にハマるも、約1時間で到着。
バスターミナルから地下鉄に乗り、本日2つ目の目的地に向かう。
電車に揺られること約30分。
メキシコ国立自治大学 に到着。
60人以上の建築家や技師が統一性を持って作り上げたこの大学都市は、その顕著に普遍的な価値を認められ、2007年にユネスコの世界遺産に登録されたらしい。
学生生活が懐かしくなった訳ではなく、、、
ここには壁画を見に来た。
正門と逆方向から入ったらしく、なかなかお目当ての壁画が見つからず。
フラフラ学校内を徘徊し、やっとこ発見。
デカッ!!!!
歯学部校舎に描かれた
フランシスコ・エッペンス・ヘルゲラ作
LA SUPERACIÓN DEL HOMBRE POR MEDIO DE LA CULTURA
この作者は他にも彫刻や切手のデザインなどでよく知られるアーティストで、メキシコ国旗中央の国章もこの人が手掛けたそうです。
一つ見付けたけど、その次がまた見付からず。
旦那はんの記憶を頼りに、再びフラフラ。
広場の先に2つ目の壁画を発見。
中央図書館に描かれたフアン・オゴルマン作の超巨大壁画。
建物四面に全部壁画が描かれている。
世界最大の壁画らしい。
さっきのも大きかったけど、こっちのも大きいわぁ。
正面からも見てみる。
大き過ぎてもはや壁画かどうかも分からない。
さらに振り返るとまた壁画が。
更に建物を回り込むとまた壁画。
半分修復中。
岡本太郎とも交流のあった画家シケイロスによる立体壁画
民衆から大学へ、大学から民衆へ
ディエゴ・リベラ、オロスコとともにメキシコ壁画運動を担った三大巨匠の一人であるシケイロス。
修復されていない方。
半分ずつやるのかな?
さて、帰ろうかと思ったら、また見付けた。
ホセ・チャベス・モラドによる大作
La conquista de la energía
タイトルは直訳すると “エネルギーの支配”
大学の中にこれだけ色々な壁画がフツーにあるのは凄いなぁ。
うちの大学にはこんなものはなかったわぁ。
本日の観光は全て終了〜
14時半も回って、さすがにお腹も空いた。
昨日も行った店に行きましょう。
気に入った店はDFでも通う。
Guacamole
昨日、勧められて食べなかったワカモレを今日はオーダー。
Chamorro
豚肉を煮込んだもの。
豚足みたいな感じだった。
これをトルティージャにのせ、玉ねぎやパクチー、サルサをトッピングして食べるのだけれど、、、
トルティージャはお腹にたまるので、肉と玉ねぎとパクチーにライムをガッツリかけて食べたら美味しかった。
昨日も頼んで美味しくて感動した
Huaraches al pastor
パストールとチーズが本当に美味しい。
これも昨日も食べたTacos
Costilla
この上にサボテンやトマト、玉ねぎをガッツリトッピングして食べました。
Cebollas asadas
今日は頼まなかったのに、店員さん間違ってオーダーしたらしく、持って来ちゃったよ〜
でも、玉ねぎは好きだから食べました。
いや〜、お腹いっぱい。
今日も満足。
帰りにコーヒーが飲みたくなり、並びにあったスタバへ。
名前が
Kane
になってました。。。
まぁ、仕方ないか。
少しだけお散歩して宿に戻り、今日は早めにシャワーを浴び、その後はまったり。
旦那はんは疲れたのか、22時前には寝てしまった。