2018/12/27

アーグラ②


2018.12.26


8:00 起床

やはり前日の移動がこたえたのか、だいぶ寝た。

昨日から大したものを食べていなかったので、朝ごはんをお願いする。


ジャガイモ入りのパラタとピクルス


マサラチャイ


部屋の前でぼけ〜っとしながら食べていると、この宿のシェフ兼トゥクトゥクドライバーのマンシーンが


「今日の予定は?」

私:「まだ考えてないよ。」


と答えると、いくつかプランを上げてきた。

旦那はんと食べながら考える。

食後に行きたいところを彼に伝え、値段交渉。


「13時に出発ね。」


と言われたので、それまで部屋でまったり過ごす。


13:00

部屋の外に出ると、マンシーンが


「10分後に戻って来るから、待ってて。」


と言うので、部屋の前にあるブランコに揺られながら待つ。

さて、観光に出発。


「ここがAgra Fort(アーグラ城塞)だよ。」


と言うので、


知ってるよ。でも、うちらの目指す場所は違うけどね。

と思いつつ、眺める。

しかし、アーグラ城塞の入り口近くで停まった。


あれ?先にここを見るのか?


「1時間後にここで待ってる。」


と言われ、まぁ、明日行く予定だったし、行ってみるかと入場ゲートへ。

終わってから探す用に写真を撮っておく。


インド人がいっぱい並んでいるチケットカウンターの横に外国人専用カウンターがある。

そっちは誰も並んでいなかった。


アグラ城塞
 

門をくぐり、中へ入りましょう。
 


セキリティチェックは男女別々の列に並ぶ。

 

セキリティチェックを抜け、中へ。


次から次に


「ガイドしようか?」


と近づいて来るが、ウザ過ぎてノーリアクション。


Wikiさんによると、

デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成した。

その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。

アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに移った。

外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されている。

ムサンマン・ブルジの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石でできている。

1983年にユネスコの世界遺産に登録された。



実の息子に幽閉され、亡くなった奥さんのお墓(タージ・マハル)を見ながら晩年を過ごしたって、なんだか寂しいもんですなぁ。

結構広いらしいので、サクサク見て回ります。







インドのこう言う建物内には、必ずと言っていいほど、リスがいる。


ここにはそんな野生のリスをてなづけちゃったおっちゃんがいる。

おっちゃんが手を伸ばすとリスが自ら乗って来る。



「どうだ?乗せてみるか?」



とリスを差し出されたが、拒否。

野生の動物には触らない主義なので。

狂犬病とか怖いし。



大気汚染が酷くて少し歩くだけでも肺が痛い。。。

グッタリ。


何やら井戸の中を覗くインドの方々。


覗いても特に何もなかったけど。








きっと昔は真っ白だったんだろうなぁ。


アーグラ城塞からタージ・マハルが見えるはずだが、大気汚染の影響もあり、霞んで薄っすらとしか見えない。

写真の中央に薄っすら。


アーグラは今まで行ったインドの中でも大気汚染が進んでいてい、喉が痛いレベル。

風邪かと思って昨夜と今朝、葛根湯飲んだけど、違うわ。

白く見えていた壁も良く見るとカラフルな模様がある。







窓の向こうには猿。



 

中庭も綺麗に手入れされている。


















壁の模様が一つ一つ違う。





大きな壁。

旦那はんが小さく見える。


庭に猿だらけ。
 

怖いので近づかず。

さて、飽きてきたので外に出ましょう。


外から眺める。

周囲2.5kmもあるらしい。


お次はアクバル廟へ。

と思ったら、何だか進む方向がおかしい。

あれ?

ここってベビータージと呼ばれる所じゃないの?


「うちらは最初にアクバル廟に行きたいって言ったよね?」


マンシーン:「アーグラ城塞でしょ?」

旦那はん:「いや、違う。アクバル廟。」

マンシーン:「今からじゃ、行けないよ。」

旦那はん:「分かってないなら、もう、良い!!!!」

とりあえず、ベビータージを見る事に。


Tomb of Itimad-ud-Daulah


イティマード・ウッダウラ廟は、インド のアーグラにあるムガル帝国の宰相ミールザー・ギヤース・ベグの墓廟。

墓廟は中央のドームと四つのミナレットから成る典型的なムガル建築であり、のちに建設されたムムターズ・マハルの墓廟タージ・マハルの原型になったという。

ベビータージは現地で呼ばれている通称。

手入れされた庭を抜けると、門が。


門の向こうにはベビータージが見える。


意外と空いてる。

逆さベビータージ。


 空いているので、記念撮影も出来る。




四方に門がある。


靴を脱いで上に上がる。



結婚式の前撮りをしているカップル。




お墓。


他にも何個かあった。

透かしが細かい。




細工がとても細かくて綺麗。 


アーグラはこの時期は結構寒い。


壁の模様が可愛い。



グルっと一周してみる。


「写真を撮ってくれ。」


とインド人カップルに声を掛けられ撮ったら、逆に撮ってくれた。


場所を移動させられ、また撮られる。


30分のあれば見終わってしまうくらい小さいベビータージ。


ヤムナー河を眺める。


対岸には野良犬や野良牛が沢山いた。




アクバル廟に行って貰えなそうなので、ブラックタージ・マハルへ移動する事に。

入場料を払い、中へ。

対岸のタージ・マハルが見えた。


Mehtab Bagh(マターブ・バーグ)

シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に対となる自分自身の黒大理石の廟の建設を構想していたともいう。

これは、タージ・マハルがイスラーム建築の原則である対称性に則していないことから発したもので、北岸に同じ形の黒い墓廟があれば南北の対称性は果たされる。

シャー・ジャハーンの失脚で、白大理石のタージ・マハルと対となる、黒大理石の墓廟の計画は幻に終わった。

北岸の胸壁と望楼は、その基礎工事の名残とも言われる。


きっとここにブラックタージ・マハルを建てたかったのね。
 

着いたのが15:30くらいだったので、まだあまり人がいなかった。

対岸のタージ・マハルを眺める。

まだ陽は高い。


対岸からタージ・マハルを眺めていたけど、観光客の多い事。。。

アリンコがいっぱいいるようにしか見えん。。。

明日は朝一で行こうと心に誓った。

 
そうこうしていると夕陽が雲に隠れた。
 
 
と、思ったら、またちょっと顔を出した。


でも、この後すぐに雲に隠れてサンセットは終わってしまった。


帰る前にチラッとタージ・マハルを眺める。


ブラックタージ・マハルの周りはスラム街。

インドの違った一面を垣間見た。

差が激しすぎるよ、インド。

宿に戻り、夕飯をお願いする。


「30分後。」


と言われたけど、結局、1時間以上待った。


ほうれん草とチーズのカレー


少し苦味のあるカレーだった。

オクラのスパイス炒め


オクラは安定に美味しい。

野菜のフリッター


サクサクで美味しかった。

食あたりが怖かったから、今まで揚げ物は避けていたけど、食べたくなったので、お願いした。

チャパティを2枚頼んだら、2枚の他に膨らんだチャパティも貰った。


お腹が空いていたので、あっという間に食べ終わった。

食後にマサラチャイを飲む。

その間にもマンシーンは営業トークを仕掛けてくる。


「明日の朝一でタージ・マハルに行った後は宿に戻って朝ごはんを食べるだろ?

午後はどうするんだ?」


旦那はん:「明日はタージ・マハルの後はそのまま街をフラフラするつもりだから、宿には午後に戻るつもりだよ。

だから、朝ごはんは要らない。

午後は部屋で休むつもり。」


と。

ジャイプルくらいから宿のトゥクトゥクドライバーの営業のしつこさにうんざりしているので、あんまりガツガツ来られるとやる気をなくす。

チャイを飲み終わったので、部屋に戻ろうとすると


「お金は?」


と聞かれたので、


「明日の朝、タージ・マハルまで送って貰ったら払うよ。」


と言って部屋に戻った。

最初に交渉した時に


「明日の朝のタージ・マハルまでの送迎も含む」


と言ったのはそっちでしょうが!!!!

ちゃんと全部やってから払いますわ。

オーナーやホテルのスタッフの対応が良くても、トゥクトゥクドライバーのせいで嫌な気分になる。

もっとUberが普及しないかなぁと本気で思う。


しつこい男は嫌いっ!!!!


今日もビクビクしながらシャワーを浴びる。

今日は問題なく浴びれた。

しかし、水道を切り替えた途端、茶色い水が出てきてひく。

シャワーは浄水機能が付いてたのね。。。

本当の水は茶色いのね。。。

アーグラの水は悪いと聞いていたけど、本当だった。

空気も水も悪いって、、、